
父の毎年恒例、工業学校の同窓会がこの季節にある。
参加は今年を限りと決めたらしく、親しくしてくださった方々にその挨拶を、と
私鉄と地下鉄を乗り継ぎ、母親の心配をよそに夕方から出掛けた。
まだ暑さに慣れ切っていない7月初旬、地下鉄の階段、
母親の心配も無理はない。
会の最後に求められた挨拶は、
父曰く、もう少し気の利いたことを話せたらよかったということだったが、
よい会を締めくくれたようだった。
帰りは連れの方がいらして、地下鉄まで歩くはめになった。
ようようの体で最寄りの駅にたどり着いたが、あいにくタクシーは出払っていて、
戻ってくる気配はない。
土曜の夜で弟も一杯始まっていた。
へとへとになりながらも意を決して歩き進めた
暗い道、父がその先に目にしたのは、
懐中電灯を手に一生懸命歩いてくる母親の真っ白な頭だった、という。
いまどき懐中電灯? 次の日母親にきいてみると、
弟夫婦が玄関で見送り、お嫁さんが持たせてくれたらしい。
家にたどり着くなり、母に急かされたのだろう、
私に無事帰還の報告をくれた父は電話の向こうで
母への、周りのすべてへの、ありがとう、を繰り返した。
共に90路の、ただただ真っすぐでどこまでも平らな道を
ゆっくりとそれでも時々息を切らし、
特に話をするでもなくそれでもふたりで歩いている。
「 お母さんと思いがけない夜の散歩ができてよかったね!」
私は嬉しくなって言った。
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